第1回M.I.M.C.結果発表

今から十数年前、モーニングとその兄弟誌アフタヌーンが、欧米、アジアなど世界中の作家たちと仕事をしていた時期がありました。そのころ、マンガの編集者になりたてだった私は、主にドイツの作家たちと新たな作品を生もうと奮闘しておりました。苦労も多かったけど楽しくもあった若き日の記憶です。残念ながら商業的には成果の得られなかったこれらの試みは、その後やむなく休止状態に追い込まれて現在に至りましたが、今回モーニングの創刊25周年特別企画として、世界初の本格的国際新人漫画賞を開催することができました。この十数年間、モーニングが編集部として海外との仕事を再開する機会をずっとうかがっていたというわけではありませんが、今ではすっかり数少なくなってしまった、あのころ海外との仕事を経験した編集部のメンバーは、日々の編集作業をこなしながらも心のどこかで世界の作家たちと仕事することを夢見ていたように思います。
 第1回M.I.M.C.は質、量ともに私の予想をうわまわる成果が得られました。MANGAをとりまく状況は、この十数年で本当に大きく変わったと実感しています。応募作を読んだ時点でそういう実感を得ていましたが、大賞受賞者のRemさんとの打ち合わせのためにアメリカへわたり、その感をさらに深めました。十数年前は海外の作家と打ち合わせをする際、例外なく、まず「MANGAとは何か」という話から入ったものです。アジアは別にして、欧米にはBD作家やアメコミ作家はいてもMANGA作家は存在しなかったのです。REMさんをはじめとするアメリカで出会った多くの作家たちは、骨の髄からMANGA家でした。言葉の問題をのぞけば、初対面の日本の作家と打ち合わせをするのとまったく同様に、スムースに打ち合わせをすることができました。中には流暢な日本語を話す作家や編集者(とても素晴らしいMANGA編集者でした)すらいました。MANGAが世界中で読まれていることを肌で実感する旅となりました。
 「MANGAは今やワールドワイドだ」というのはよく聞かれる言葉です。MANGAが世界中で(少なくともアメリカにおいては間違いなく)読まれていることは確かに実感したのですが、実は今回の旅でもうひとつ気づいたことがあります。それは「MANGAが読まれること」と「MANGAがワールドワイドであること」とは別だ、ということです。MANGAは確かに日本以外でも読まれてはいますが、いまだワールドワイドでは全くないと思います。
 たとえば、アメリカで多くの人が語ったことですが、アメリカでは、MANGAとはあくまでも日本人が描いたものであって、アメリカ人の手による作品は、いかにMANGAとしての文法にのっとていても「MANGA」としては認められづらいそうです。
 たとえば、アメリカの書店には、堂々たるMANGAコーナーがありながらも、置いてある作品はきわめて偏ったほんの一部の作品だけです。少女漫画は大分増えてきましたが、それ以外の90%はいわゆる少年漫画で、しかも少年漫画でもっとも大きくエキサイティングなジャンルであるスポーツ漫画はほとんどおいてありません。モーニングが送り出している大人向けの素晴らしい傑作にいたっては、ほとんど一冊も見つけることができませんでした。
 たとえば、アメリカでMANGAを出版する会社はたくさんありますが、作家を発掘して育成し、編集するという意味での「編集者」がいる会社はまだほとんどないようです。
 このような状況は、おそらくヨーロッパでも同様ではないかと思われます。
 当初、私のなかでこのM.I.M.C.の目的は、単純に「海外の才能を発掘し、日本でデビューしてもらい、さらに彼らの母国へ逆輸入してもらう」という程度のことでした。今でもそれは変わらないといえば変わらないのですが、海外の作家の作品が日本でヒットしたり、日本の漫画が海外でヒットしたりすることは、多分「マンガがワールドワイドになる」こととイコールではないのです。「マンガがワールドワイドになる」ということは、「マンガが、世界中で“起こる”」ということだと思います。マンガは世界中で読まれていますが、まだほとんど”起こって”はいないのではないでしょうか。
 選考作業中に意外だったのは、送られてきた作品のスタイルがそれほどはバラエティに富んでいなかったことです。マンガという概念はBDもアメコミも含みますし、それ以外のどんなへんてこなスタイルのものでも、描いている人が「これはマンガだ」といい、見た人間がそれを「マンガだ」と思えば、それはマンガなのです。そのようにしてマンガは発展してきました。MANGAの賞であるのに、世界中から送られてくる作品が、日本国内の漫画賞より内容的にバラエティに乏しいことは、マンガがまだ世界では“起こって”いないことの何よりの証左ではないでしょうか。
 M.I.M.C.は第1回の成果を受けて、第2回も開催できることになり、現在作品を募集中です。賞自体の目的は「才能の発掘」ですが、もっと本質的な目的は、この賞をつうじて「マンガが世界中で起こる」ことに貢献することなのだ、と考えはじめています。

M.I.M.C. 選考委員長・島田英二郎

「Kage no Matsuri(影の祭)」

Bikkuri 画・Rem / アメリカ

《あらすじ》 朽ち果てた神社の境内にすむ子鬼の娘は、ある日ひとりの若者を見初める。子鬼は若者を、もののけどもが楽しく踊る短夜のアバンチュールへと連れ出す!

《受賞者コメント》 Rem:
今回のことはまさに夢がかなったという感じです!日本で自分の作品を出版するというのはわたしが子供の頃から夢みていたことでした。
マンガ家である、ということはアメリカでも日本でもとても大変なことだと思いますが、アメリカで日本スタイルのマンガを描くマンガ家である、というのはわたしにとって特別に困難なことなのです。なぜなら日本マンガのスタイルを持つアメリカ人マンガ家の自分が、自分自身をうまく表現することができるのか、疑問に感じているからです。これは自国以外の文化や芸術に恋した人なら誰もが抱く葛藤かもしれません。
今回の賞を受賞したことによって多くの点で自分がやっていることを疑うことなく、やりたいことを続ける自信を得ることができました。これこそがわたしがこの賞で得ることができた最大の栄冠だと思います。
Bikkuri:
サイレントのマンガのストーリーを書くことで、セリフを考えずにすむという楽な面もありました。書いていた当時は考えていませんでしたが、国際的な賞では言葉の壁も超えることができて、かえってとてもいい結果をうむことができました。 セリフ無しのマンガで「マンガは世界共通だ!自分自身を表現するのに言葉はいらない!」と言いたかったわけではありませんが、それでもそのメッセージは自ずとあらわれていると思います。自分の作品ができるだけ多くの人の心にふれること、それがものを作る者としての僕の目標です。だから自分の書いたものが国を超えて出版されることにとてもワクワクしています。僕がこの物語に込めた気持ちを世界中の人に理解してもらえますように。

《評》 ジャパネスクな世界を繊細かつ表情豊かなタッチで描いたサイレント。切り絵を思わせる独特のタッチで描かれた背景には確かな存在感があり、朽ちた神社や石段、緑したたる山々は湿度や香りまで感じさせる。360度マルチアングルで切り替わる自在のカメラワークも見事。アングルがめまぐるしく変わりながらもそれで読みづらくならないのはコマ組みが完成されているから。サイレントは文字情報抜きでストーリーを展開させねばならないので、話をすんなり読者に理解させるのは意外とむつかしい。単純な話とはいえ、最初の一コマ目からラストまで、一度もコマをたどりなおさないでスムースに読ませるテクニックは相当なものだ。日本のマンガの新人賞はそれなりにレベルは高いが、頭からラストまで一気に読ませるものにはほとんどお目にかかれない。登場人物はふたりとも親しみのもてる魅力的な造形。しかも表情も生き生きとしている。小さいことだが「描き文字」が完璧なのにも驚いた。 ただ、ストーリー、キャラクターともにこの作者ならではの決定的な何かを見せていないことも事実。肝心なのはこの先だが、とにかくいろんな意味で面食らったので、その心地よい驚きに従いこの作品を大賞としました。

「Nigiri Supahero(ニギリ スーパ ヒーロー)」

LIOU MING LAW / イギリス

《あらすじ》 ゴハンシティに住むスシたちに、正義と平和をもたらすスーパーヒーローの物語。ミソスープ風呂に入り、ベルトコンベア汽車にのって移動し、酢を摂取して生きるスシたちはゴハンシティと呼ばれる街に住んでいた。スーパーヒーローに憧れ、ワサビプロダクションに勤めるアニメーターのウナギは、ある日、本物のスーパーヒーロー・エビの活躍を目撃する!

《受賞者コメント》 子供の頃は香港で日本のアニメの強い影響を受けました。そしてその頃は『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『金田一少年の事件簿』のマンガが好きでした。今は宮崎駿監督のアニメが大好きです。
 自分自身のマンガのスタジオを持つことが僕の夢で、いつかその夢が実現できると今も信じています。僕の作品はマンガだけでなく、たくさんのコンピューターゲームやグラフィックデザイン、映画、雲、壁の質感など色々なものに影響されてきました。風変わりなユーモアで僕の作品を覚えておいてもらいたいので、そういうテイストを作品に入れるのが好きです。
 自分のスタイルは自分で創りあげてきました。ありきたりな表現は避けたいと思っているし、市場に既にあるカテゴリーに僕の作品をあてはめてもらいたくありません。読む人には僕の描いたものをあるがままに楽しんでもらいたいです。
 この機会に、僕にやる気を与え支え続けてくれた2人に感謝を表したいと思います。僕をいつも信じてくれている彼女のカレンと、僕の落書きを決して無価値だと思わないでいてくれた母親です。そして最後に、僕の作品を世に出す機会を与えてくださったことに対して講談社に心から感謝したいと思います。

《評》 マンガというよりはコマ割りしたイラストに近いが、面白いものは面白い。日本人ではとても考えつかないばかばかしさがいい。ヒロインがタコで、悪のヒロインがイクラ、主人公のスーパーヒーローがエビで、彼の世をしのぶ仮のすがたがサケという一連の設定も微妙に日本人の感覚とずれていて、そこがかえって面白い。ヒーローはトロだろ、普通(?)。タコがヒロインというのもあり得ないのでは(私だけの感覚でしょうか?)。あと、すし屋に普通ウナギはないです。どうやら壮大な物語のプロローグらしいので、ひとつひとつのネタをグレードアップして続きをまた応募してほしい。

「Vefurrin(物語を紡ぐ者)」

HWEI LIM / マレーシア

《あらすじ》 夢の森のなかに住む“子狐”に物語を語ってきかせる“放浪者”。物語のなかで物語が語られ、幾重にも重なりながら“人間にとって物語とは何か”が展開されてゆく物語。

《受賞者コメント》 わたしは本やマンガを読むのがずっと好きで(沙村弘明さんの『無限の住人』 が一番好きなマンガです)、誰かに読んでもらうために絵や文字でお話をかきたいといつも思っていました。わたしがこの国際漫画賞について知ったのはかなり遅くなってからでしたが、今では応募することに決めて本当によかったと思っています。
 短い期間で短編マンガを仕上げて応募したのでまさか賞を取るとは思っていませんでした。わたしの作品が副賞に選ばれたと聞いて驚いていますが、同時にとても幸せです。この受賞でもっと多くの人がわたしの物語を読む機会を持つかもしれないと思うと嬉しいですし、願わくばその人たち自身の物語に対する愛を深めていただければと思います。講談社の皆さま、ありがとうございました。

《評》 BD的な絵柄と画面構成。濡れたような流れるようなタッチと、不思議な背景や、登場人物たちがかぶる意匠をこらした仮面のデザインが、ストーリーと実によくマッチして効果をあげている。新人の場合、作家としての特性と、実際に描いている作品とが一致しないことがよくあるが、この人は自分の特性をよく理解していると感じた。テーマ的にも相当な意欲作で、実に興味深く読ませるのだが、いかんせん難解すぎる。テーマは確かにむつかしいが、それをわかりやすく描けてこそマンガだ。むつかしいテーマだから難解でかまわないだろう、というある種の「投げ」が垣間見える気がする。すごく面白いことを描こうとしていることがわかるだけに残念。「面白い」「面白くない」は最終的には100%主観で、いってみれば「おいしい」「おいしくない」と同じ。その意味では万人を面白がらせることは不可能だし、そんなことは目指さなくていいと思うが、あるラインまでは読む人すべてについてきてもらうよう努力すべきだ。そのことを理解してもらえれば、それだけでも飛躍的にうまくなる人だと感じた。