CHAPTER4:仕事論

逃げて逃げて、漫画家になった

──漫画の仕事が軌道に乗るまでは、どのようなことを考えていらっしゃいましたか?

うえやま 『クッキングパパ』の連載が始まったのは30歳の頃ですが、それまではとにかく漫画家になりたかったですね。漫画一本でやっていけたら、どんなに幸せなことだろうか、と。

小さい頃から漫画は好きでしたけど、中学1年生で石森章太郎(石ノ森章太郎)さんの『マンガ家入門』を読んでからは、将来のイメージといったら漫画家になることしか思い浮かばなくなってしまったんです。だから、大人になって公務員になっても、東京のデザイン会社に就職しても、「このままでは漫画を描く時間が充分に取れない……」なんて思って、いつも長続きしなかったな。

『クッキングボス うえやまとち初期作品集』88~89ページ うえやま氏25歳の時の全国誌デビュー作『であい』より

『クッキングボス うえやまとち初期作品集』88~89ページ うえやま氏25歳の時の全国誌デビュー作『であい』より。

ご本人曰く、「本気で漫画で食っていきたいと思い、いろいろなことに挑戦していた時期だった」とのこと。[Amazon.co.jpへ

福岡に帰ってフリーになっても、仕事はけっこうありました。「子どもが生まれたから稼がなきゃ」なんて、頭を下げて新聞社をまわるとイラストを発注してもらえましたから。でもそのうちに、そういうフリーのイラストレーターとしての仕事さえも漫画を描く時間の邪魔に思えてしまって、結局はやめちゃってね……。

たまたま、イラストの仕事をやめることにした翌日に少年誌での週刊連載が決まったのはラッキーだったけれども、その連載は失敗して半年で終わっちゃって……。そこからは、映画ひとつ観にいくのも大変というような田舎で暮らしていたので「こんなところで漫画を描けるのかな」とは思いましたけれども、むしろ「ここから都会にないものを発信してやれ」なんて考えて、養豚の回には養豚場を直に取材したり「養豚の友」なんて雑誌まで参照しながら、毎月20ページの『大字・字・ばさら駐在所』を時間をかけて描いていました。

他に仕事もなくて食うや食わずの貧乏だったけれど、ぼく自身はわりと能天気で、カミさんもそれは苦しかっただろうけれど、「定職に就いたら」なんてひとことも言わずにいてくれたっけ。ありがたかったよ。時間だけはあったから、子どもとはずいぶん遊びました。いまから思えば、あの時にたっぷり遊んでおいてよかったよな。

……と、そんなふうに逃げて逃げてようやくプロの漫画家になったものだから、それからは漫画をやるしかないんですよね。ぼくには漫画しかない。いまもそうだけど、もう逃げられるところはないんです。

そうだ、この漫画の中で、いろんな種類の漫画を描けばいいんだ

「クッキングパパセレクション』400~401ページ「かあちゃんの大豆ハンバーグ」より

「クッキングパパセレクション』400~401ページ「かあちゃんの大豆ハンバーグ」より

この話を描いて、「まだ自分にも熱いものが描けるんだ」と、うえやまさんの疲れは飛んでいったのだという。[Amazon.co.jpへ

──『クッキングパパ』の25年間の長期連載の中で、転機となったようなタイミングはあったのでしょうか?

うえやま 連載が10年以上続いて500回を超えた時には、いったん「これ以上続ける意味はあるのかな」なんて思ったこともありました。けれど、よく考えたら、いろいろ頂いた新連載企画はいずれも、たとえば「育児漫画」であったりと、既にある『クッキングパパ』の枠の中でも展開できるテーマばかりだったんです。それならラベルを変えず、「料理をするパパ」という縛りだけは外さずに、その中でいろんな種類の漫画を描けばいいだろう、と開き直りましたね。

いちばん苦しかったのは、700回から800回ぐらいまでの時期です。ぼくの疲れもいろいろな意味でたまってしまっていたし、読者からははっきりと「マンネリ。つまらない」と言われてしまっていてね……。でも、ひとつ、ふたつと、熱い話が描けたことをきっかけにして、だんだんと「やっぱりやり続けよう」と立ち直っていったのかな。

週刊連載というのは、漫画家にとっては最高の檜舞台でしょう? きっと、いやでも「もうそろそろ――」と言われる時期も来るのだろうから、それまではこの、読者の反響をいちばん敏感に届けてくれる週刊漫画雑誌での仕事を続けていきたいな、と思っているんですよね。