CHAPTER1:絵について

「荒岩のアゴ」は、いかにして発見されたか

『クッキングパパ 荒岩家クロニクル』99ページ「妻にささげる チーズケーキ」より

『クッキングパパ 荒岩家クロニクル』99ページ「妻にささげる チーズケーキ」より[Amazon.co.jpへ

──荒岩のアゴの描写は、太くて勢いのあるシンプルな線で、遠くからパッと見ても『クッキングパパ』だとすぐにわかるような絵の個性があります。これは、どのように発見されたのでしょうか?

うえやま 個性って本人にはわからないものです。ぼくも『クッキングパパ』以前は、打ち合わせで過激だったりエッチだったりする絵も見せていたけど、そういう設定案の裏側にチョッチョッと落書きしていた「息子をおんぶして掃除機をかけるぼく」の絵を編集者に見つけられて、「こっちじゃないですか? 家庭的なほうが似合うと思いますよ」と言われたんです。

『クッキングパパ 荒岩家クロニクル』550ページ「じっくり じっくり 本格生ハム」より

『クッキングパパ 荒岩家クロニクル』550ページ「じっくり じっくり 本格生ハム」より[Amazon.co.jpへ

その絵のイメージから描いた『クッキングパパ』で連載をするという時になって、主人公をサラリーマンにしてほしいという注文があったけれど、長髪でヒゲのぼくの顔のままではスーツが似合わなかったんですよ。それで、前に描いた漫画に出てきた「源さん」というちょっと短気な人の顔を元にして描いたら、料理をしそうなタイプには見えなくておもしろいし、「あ、これは喋らないヤツだな。だから職場にお調子者がいて、代わりに喋ってくれて……」と、サッと描いた絵がストーリーまで作ってくれましたね。

ぼくの持ち味は“ほのぼの”です。だから、太い線でスッと読める絵柄については、「あまり入れ込んで劇画調にならないように」と心がけています。スタッフにも、「読者の目を『……ん?』と止めてしまうような背景はジャマなので、描き込まないほどいい、というぐらいでね」と伝えていまして。料理の絵をリアルに見せますからね、それ以外ではとにかくシンプルな絵に、という。

『クッキングボス うえやまとち初期作品集』227ページ

『クッキングボス うえやまとち初期作品集』227ページ

1985年、『クッキングパパ』が連載になる前に読み切りとして「モーニング」に掲載された『クッキング・パパ』より。タイトルはほぼ同じだが、この時の主人公の顔は、うえやま氏の自画像のようなものだった。[Amazon.co.jpへ

重要なのは、絵柄を徹底してジャンルを突き詰めること

──「絵は描き込まないほどいい」というのは、なぜでしょうか?

『クッキングパパセレクション』109ページ「ぐーたら作れる ぐーたらおでん」より

『クッキングパパセレクション』109ページ「ぐーたら作れる ぐーたらおでん」より[Amazon.co.jpへ

うえやま リズムが悪くなるからです。『クッキングパパ』では、初めに「博多――」という風景描写を入れますよね。「あれがあることによって、それぞれの人は故郷に帰れたような気になる」なんて鋭い指摘をしてくれた方もいましたが、ぼく自身としてはあれは、「さぁ、いまから『クッキングパパ』の世界が始まりますよ」という入り口を表しているつもりなんです。

で、漫画を読み始めると、人って頭を下げてシーンとなって入り込みますよね。ぼくはそこでハッと我に返らせて、その頭を上げさせたくはないんですよ。最後のコマまでサッと一息に読んでもらって、オチでニコッとしてもらいたくって。

『クッキングパパセレクション』143ページ「鯛を食うなら茶漬けたい!!」より

『クッキングパパセレクション』143ページ「鯛を食うなら茶漬けたい!!」より[Amazon.co.jpへ

だから、荒岩のアゴなんて、ほとんど横向きの顔しか描けないほどデフォルメしたものだけど、そういういかにも漫画らしい、ちょっとマヌケなところもある絵柄でラクに読んでもらおう、と思っているんですよね。そうやって開き直って、あるジャンルの中で「うわぁ、これ以上のものはないよな」と思わせるところまで徹底的にやるってのがいいんじゃないでしょうか?

他のジャンルでも、いくら陰惨で袋小路にはまり込むような絵柄であっても、ぼくはそれだけでダメだなとは思わないんです。重要なのは、その絵柄をどれだけ徹底しているのか、なんじゃないのかな。もしも陰惨さなり袋小路に入る感覚なりを突き詰めて、他にない漫画になっていれば、何だかむしろ妙な爽快ささえ感じて「すばらしいな」と好きになれますからね。