CHAPTER2:ストーリーについて

「不安な感覚」の共鳴が物語をおもしろくする

『沈黙の艦隊』文庫版5巻105ページより

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──「漫画の題材を選ぶ時に『不安』を基準にしている」というお話が出てきましたが、その意味を教えていただけますか?

かわぐち そもそも、ぼくにとって物語を描きたいと思わせる源泉は「不安な感覚」で、人物の配置や時代背景などはすべて、それに沿って考えるものです。ぼくは、人間っていちばん興味のあるものにこそ「不安な感覚」を感じているのではないだろうかと思っているんです。たとえば、気になって惹かれている異性に対しては巻きこまれそうで「不安な感覚」が生まれるように、ね。

そして、連載を続けるうちに、読者が漫画をおもしろがってくれている時期には、「読者と作者の『不安な感覚』が共鳴しているからなんじゃないのかな」と感じるようになりました。

『沈黙の艦隊』の連載を始める時期には「そろそろ冷戦が終わるのではないか」という世間の空気があった。すると、それまでの冷戦構造における米ソの均衡は崩れ、アメリカが世界を支配する時代になるのかもしれない。そこで、日本はアメリカとどう付き合うべきなのだろうか……そうした「漠然とした不安」を漫画に描いたからこそ、読者の感覚とシンクロしたように感じながら連載をしていたんですね。

ただしテーマについては、あんまり巧みすぎたり作りこみすぎたりしてもうまくいきません。このへんは「たまたまうまくいっている」となるのがいいのではないでしょうか?

『沈黙の艦隊』を始める時期にも、最初はそれほど大きいテーマにしないで、「潜水艦が描きたい」と言っていました。オーソドックスな「刑事もの」のパターンを踏襲して「国際法を犯して逃走した日本人の乗っている潜水艦を、法の番人である日本の自衛艦やアメリカの海軍が追いかける」というシンプルな話にしていたんです。

そのまま連載を続けていたら、コミックスで2巻や3巻ほどの時点で、「この漫画はいい素材を使っているけれども、このまま描いていたらある程度のところで潜水艦は捕らえられて終わることになってしまう」と、さきほど話に出てきた初代編集長の栗原さんがアイディアをたくさん持ってきてくれました。

それで、捕まらないままの潜水艦が「アメリカという国のリーダーシップに対して異議申し立てをする」という、精神的な側面も含めて戦いを挑むプロセスを描くことについて相談を重ねました。うまく展開しはじめてから、テーマをすこし深めて広げて大作にしていくという方向転換をしたんです。

主人公の海江田は、さきほど伝えたように「喋らない謎の人物だからこそ魅力がある」という“エックス”としてすでに描いていました。そのために方向転換後には、この海江田と対立する人物であるアメリカ大統領の変化や成長を描きこんでいったんです。

アメリカ大統領のベネットは、海江田という謎の怪物と斬り結んでいく。そのためには、アメリカの国益を離れて全世界におけるリーダーシップを発揮できなければならない。そういう人物は、海江田という謎の人物からどのようにインスピレーションを受けるのだろうか。こうして、テーマは長続きするものになったと同時に、スケールの大きいものになっていきました。

編集者との打ち合わせは「モチをつくように」漫画を練りあげていくもの

『ジパング』39巻142ページより

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──テーマや構成について、編集者とはどのように相談をされていますか?

かわぐち ぼくは何人かでモチをついておいしくしていくように、最後まで何回も相談を重ねて漫画を練りあげます。もちろん、編集者にあんまりいろいろ言われたくない側面もある。不備を指摘されたものの次にいいアイディアが出るとは限らない側面もある。でも、やはり漫画は読者がおもしろがるべきものだから、読者がいちばん楽しめるものをとなると、作者ひとりの欲望は越えなければならない。やはり作者は新人であってもキャリアを重ねていても「いい意味では感情過多、悪い意味ではひとりよがり」で、自分の描いたものを冷静には見られないんです。「これはわかりにくいですね」と言ってもらってはじめて思いこみから抜けられる。それほど当事者って見えないし、わからないんですよ。

それにストーリーもので長期連載になれば、はじめはほんのすこしのズレを含んだ程度だった物語の「シワ寄せ」が最後に一気に負荷になってのしかかってくる。ぼくは物語の大風呂敷を広げたがるほうなので苦労するけど、物語の大風呂敷を畳むプロセスにおいては「思いこみ」が致命傷になる、非常にデリケートな調整が必要なんです。

9年以上連載を続けた『ジパング』では「面倒だなぁ、これ、爆発させて終わりにできたらどれほどラクだろうか」と追い詰められる場面は何回もありました。でも、後悔をしないように、自分の納得できるゴールまでたどりつけるように、と思ったら、やはり相談を重ねて「シワ寄せ」の問題を解決していくしかなかった。

キャラクターこそが漫画を生かす

『ジパング』43巻102ページより

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──具体的には、『ジパング』の終盤の「シワ寄せ」はどう修正したのでしょうか?

かわぐち 『ジパング』最終回までの数話ぶんは、太平洋戦争が終わった後の日本、つまり現代の自衛隊のイージス艦がタイムスリップしたことで歴史が書き換えられた後の状況を描いています。ここでは登場人物たちが命を犠牲にした意味が問われるから、ストーリーを閉じる上でも非常に大切な部分で、本来は「戦後編」としてむしろこちらをメインにして漫画を描きたいぐらいに想定していたんです。

しかし、ここでの戦後の描写は、逸話としてはおもしろく展開できるところなのに、場面としてはメインストーリーになりえない、とだんだんわかってきました。

主人公のひとりであった草加はすでにいなくなってしまった。もうひとりの主人公であった角松も体を自由に動かせない状況にある。それでは、物語の謎解きはできてもドラマにはならないんです。

キャラクターがいなくなってしまった状況では、漫画にはならないんですよ。キャラクターがいれば漫画になるわけで……ちなみに、漫画って、キャラクターがいるからこそ、描いている本人もおもしろがれるものになるのではないでしょうか?

そのような漫画ならではのキャラクターの重要性については、ぼくは「モーニング」で『アクター』という作品を連載していた頃にとくに感じました。「……あ、キャラクターがしっかりしていたら、描きながらおもしろがれるもうひとりの自分が生まれることになるのだな。それなら、読者もおもしろがってくれるにちがいない」と思って、読者にきちんとつながることができましたから。

バトルが漫画をおもしろくする

『ジパング』13巻140〜141ページより

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──「戦いを描く」という漫画の王道とも言うべき手法を使っていますが、何故そのような手法をとるのか教えていただけますでしょうか?

かわぐち バトルは、漫画を最もおもしろくしてくれる要素なんです。バトルこそがドラマを作ってくれる。「不安や魅力を感じて、ある人物なり現象なりに引きずられていくこと」も含めてぼくはバトルだと思っていて、そうしたバトルは漫画に官能性を与えてくれるのではないでしょうか?

ただ、いくら読者をおもしろがらせてくれるとは言っても、バトルそのものはテーマにはなりません。だから、バトルを通して何を描きたいのかというところがなければ、 ただ単純に身体能力や装備の強さを競って終わりになってしまう。また、きちんとしたテーマがなければ負けるプロセスや勝っていくプロセスにこだわった見せ場も作れなくなりますね。

ぼくがバトルを描くことを好きな理由は、そうした「体力のあるヤツが勝つというだけではない、精神性も含めての人間と人間のぶつかりあい」が漫画のおもしろさなのではないかと考えているからです。それでこそ、画面に「緊張感」も生まれてくれる。

それぞれの人物が何を背負っているのかという精神性も含めたすべてでぶつかりあうなら、会話のやりとりやディスカッションもバトルになるので、いいかげんにはできません。バトルはつまりそうした言葉のやりとりも含めたぶつかりあいから「緊張感」を発生させるもので、そうして「緊張感」を出せるところこそ、ぼくがずっとやってきた「劇画」そして「漫画」という手法の持っているいちばんの魅力や強味なのではないでしょうか?